外務省からタイ料理!?50カ国を旅したタイ料理店社長 川口洋さん

外務省を経てタイ料理店をオープンした川口洋さん。 「商売は本当におもしろい!」と役人から経営者へ転身した経緯を語ります。 株式会社S.S.C.


外務省時代~海外と日本をつなぐ最初の仕事~ 


川口 株式会社SUU SUU CHAIYOO(スー・スー・チャイヨー)の川口洋です。タイ語で「頑張れ、頑張れ、万歳」という意味のタイ料理をしています。よろしくお願いします。 


──よろしくお願いします。社名の由来はどんなものですか。 


川口 タイ料理とその周辺事業だけに特化した企業にするとの決意でタイ語の社名にしました。

また、字画にこだわっていたんですね。「クルン・サイアム」や「オールドタイランド」という店舗名はすぐに出てきたんですけど、会社名は何度か変わりました。

もともと「フードデポ」「グラマーストック」などでやっていたんですが、ピンと来ていませんでした。株式会社にするとき、名前を変えようとなってみんなで話し合ったんですね。

タイ人の従業員が”SUUSUU(スー・スー)”など案を出してくれて、組み合わせをいくつか作ってゴロがよいものを選びました。銀行で呼ばれると恥ずかしいですね…(笑)。


 ──おもしろい音の響きですよね。


 川口 今では社員がかけ声に使うようになっているんです。

飲み会の締めでも「スースーチャイヨー」とみんなで声を合わせます。

実は、先日経営発表会を行ったんですね。最後はみんなで「スースーチャイヨー」というかけ声で終わりました。ほとんどがタイ人で、すごい勢いですよ。 



 ──タイ料理店をはじめる前はどのような経験があったのでしょうか。


 川口 関西の兵庫県宝塚市出身で、大学に入るまで飛行機に乗ったことがなかったほど海外とは無縁で育ちました。

学生になった19歳のときにアルバイトで貯金したお金ではじめて海外へ行きました。

1ヶ月間ニュージーランドへバックパッカーで旅行に行き、ヒッチハイクをしながらとても楽しい時間を過ごしました。

平成になるちょっと前でしたね。そこから旅行をずーっとするようになっていきましたね。 


 ──他にはどんな国へ行きましたか。 


川口 アジアにはあまり行かず、ヨーロッパや中東、アフリカへ行きました。

とくに気に入ったのが中東でした。ギリシアの海辺でキンキンに冷えたファンタレモンを飲みながら「これは海外で働こう」と思ったんです。

ギリシアよりも北の方にある国は氷をいれてくれるけど、ジュースがキンキンに冷えてないんですよ。だから、冷えたジュースが飲めて嬉しかったですね。

そんな経験があって、バブル時代が終わった直後に外務省へ入りました。  


──外務省で働かれていたんですね。


 川口 1年間日本で勤務すれば海外へ出られるという制度がとても魅力的でした。

ちょうどエジプトへ旅行したときに湾岸危機が起こる経験をしたんですね。

周りがとてもざわついている時期でしたけど、中東で働きたいと思ったんです。

就職活動はほとんどせず役所の試験だけ受けて、幸い受かりました。

そこでアラビア語の研修を受けて語学も習得しました。  


──危険な時期に滞在してもなお中東へ行きたい。勇気がある決断ですよね。  


川口 アラビア語を希望している人は少なかったですね。

当時も英語はとても人気でした。

アラビア語は希望していないけど専門になった方もいました。

省内には100人以上のアラビアの専門の方がいました。 


 ──外務省にはどれくらいの期間いたのでしょうか。  


川口 外務省には約11年いました。中東はシリアに3年、オマーンに2年半です。 


──危険な目にあったこともありますか。


 川口 危険というようなことはほぼなかったですが、シリアで多少人種差別みたいな経験はありましたね。

現地の方言で「ミンシャンシュー」という言葉がありました。意味は「なんのために」なのですが、音がアジア系の言葉に聞こえるので現地の若者に「ミンシャンシューミンシャンシュー」とバカにされまして。

怒ったら大勢に囲まれて不意を突かれて背中をババ―っと殴られて、そのまま逃走されたということが。そのあと、そこにいた全員の親を探して呼びだして怒りましたけど(笑)。  


──命の危険にさらされることもありましたか。  


川口 それはないのですが、レバノンにいたときに銃で発砲されたことがありました。

内戦が終わったばかりの時期に遊びに行っていたので、誰よりも道に詳しかったと思います。

街は廃墟のようになっていて、政府や民兵による検問がいろんなところにあるんですけど、当時は割と安定した情勢だったしこちらが日本人だからと思い無視してしらっと通行したんですね。

そうしたら「パンッ!」と撃たれて、慌てて戻りました。

相手はニヤニヤ笑っていたので空砲だったと思いますし、撃つことは絶対ないはずなんですけどその時は驚きましたね。 


 ──海外だけでなく日本でも勤務されていたのでしょうか。  


川口 中東時代は5年半でした。その後は日本に帰ってきて、海外危険情報を出したり緊急事態の対応をする課や海外向けに日本を広報する課にいました。

例えば、インドネシアの政変やえひめ丸事故のときに対応しました。

それ以外だと、アフリカのクーデター対応などが多かったです。

邦人の安否確認や避難勧告など。どんなに危ない状況でも出国しない方もいました。

海外で事件や事故に巻き込まれた方の対応、亡くなった方のご遺族に連絡することもありました。

海外広報では、日韓ワールドカップや、いま成果が出ているインバウンドを増やすための仕事が思い出深いです。 


タイが世界で一番、癒される国だった 


──外務省の経験の後、今の仕事をはじめたのなぜですか。  


川口 通算して50カ国くらい行ったのですが、タイ人にとても癒やされたんですね。

中東もいいけど、ちょっと殺伐としてるところも感じ。

 外食業につながる経験と言えば、オマーンにいるとき海際に家があって、毎週ミーティングを開催していました。

外交官を集めて”diplomat meeting”と呼んで『朝まで生テレビ!』みたいなことをしていたんです。

エジプト人のおじいちゃんに司会をしてもらってアラビア語で開催していました。 


──とても国際的な経験ですね…! 


川口 会議のホストをすることがとてもおもしろかったんです。

議論がちょっと終わったときにスナックを出して、音楽を流したりして。

場の雰囲気にあわせて接待することがとても好きでした。 

オマーンでは、その経験を通してタイ人の外交官とも仲良くなることもありました。テニスなどでよく遊んだんですよ。

それから気になって、出張や帰国のときはタイ経由にして足を運んでみたら、とても癒やされるしエキサイティングな国でした。タイが一番惹かれましたね。


 ──外務省にいる頃から独立しようとは思っていたのですか。  


川口 30歳くらいで何か自分で商売はしたいと思っていました。

役所の仕事もおもしろかったのですが、だいたい将来のルートが見えていて。自由な風土で、早くから責任のある仕事が出来る良い職場でしたが、書類の文言を細かく書いたりアラビア語の通訳をしてストレスのたまる場面も多かったです。

「通訳するより、される側になりたい」と恥ずかしながら思いました。  


──飲食店で行こうと思った理由はありますか。  


川口 最初は雑貨をやろうと思ったりもしましたが、なぜかタイ料理で「これはいける」と思いました。

34歳のときで、飲食店で働いた経験はほとんどありませんでした。

大学時代に2週間、リゾート地の飲み屋で働いたくらいです。

それでも、タイ料理でいこうと決めてからは早かったですね。


 ──最初はどこかで修行をしたのでしょうか。 


川口 「ティーヌン」というタイ料理店で1年間、新橋店の店長として勉強させてもらいました。

「ラ・ボエム」というお台場の350席くらいのイタリアンで数回働いたり、バーミヤンでも働きました。明光義塾で生活費を稼いでいたこともあります。

半年くらいアルバイトしながら、自由が丘の1号店をオープンしました。 


はじめて仕事で心から泣いたのは飲食業界に入ってから 


──飲食店のオープンで苦労したことはありますか。 


川口 商売が本当に楽しくて「つらいな、苦しいな」と思ったことはないのですが、仕事ではじめて悔し泣きをしたのは飲食業界に入ってからでした。

外務省時代にも泣きそうになったことはありますが、実際に泣いたことはありませんでした(笑)。 


──とくにどんな苦労がありましたか。  


川口 新橋でリニューアルした店舗で店長をまかせて頂きまして、半年で売り上げを倍以上伸ばし、結果が出せてとても楽しかったのですが、リニューアルオープンした当初は本当に大変でした。

「500円セール」をやったらお客さんがすごい勢いで来て、食事の中身がよくなかったりお客さんを待たせたりしてしまって。

それで「こんな店、もう来ない!」と言われたときにグッときました。


 ──すべて一人で運営していたのですか。  


川口 初心者なので、本社から偉い人がきてアドバイスを頂きました。

何度も言うとおりにやったんですけど、素人すぎて理解がなかなかできず身体も動かず、うまくいかなかったんですね。

それで、怒られてもいいから自分が理解納得したことをやろうと決めてやりました。

うまくいってもいかなくても人のせいにしてはよくないと思ったんですね。必死でした。  


──新橋の経験で印象に残っているエピソードはありますか。 


川口 働きはじめて2日目にお花が届いたときのことです。

それが外務省時代にお世話になった映像会社の社長さんから贈られたものでした。

その人は毒舌な人で「飲食業は甘くない。役所を辞めて独立するなんて絶対に辞めた方がいいよ」といつも言っていました。お花をもらったので電話をすると「調子はどうですか」と聞かれ「へこんでます」と言ったら怒られたんですね。

「へこんでる場合じゃないですよ。はじめたんだからやるしかないですよ」と言われて、そのときにはじめて仕事で泣きました。

お世話になったので、後々に1号店を開いた時に報告の電話をしたら出てくれなかったんですね。そのときにちょうど亡くなられて…。


 ──楽しかったこと「うぉー」と喜んだことはありますか。  


川口 チームワークができていったことが楽しかったですね。素人は僕だけで、周りはもともといるメンバーでした。

タイ料理や飲食業の知識経験も少なく最初は冷たくされることもありました。

だけど、一所懸命頑張って売上がのびていくとチームワークもおのずとできて、みんな楽しくて仲良くなってくるんですね。

結果辞めるときには一番厳しかったシェフ主催で盛大な送別会をしたりして頂きました。

みんなと仲良くなって、当時そこにいて、その後、今もうちの店で働いてくれている人もいます。

うちの創業店のオープン初日から今までずっと働いてくれているタイ人のメンバーもいます。 

いろいろありましたが、修業時代で、商売ってこんなにおもしろいんだと思いましたね。


 ──トラブルに巻き込まれたこともありますか。 


川口 2004年に自由が丘店をオープンして、ある内装業者に見積もりをお願いし値段が高いので断ったら、脅されたことがあります。

すべて記録して警察へ提出して、相手が逮捕されました。元暴力団関係者でした。

今思えば自分の対応も悪くつけ込まれたのだと思いますが、最初のころは恥ずかしくなるくらいとにかく懸命で、周りの方々にもたくさん迷惑をかけたと思います。

35歳で血気盛んでした。



 ついにタイで海外1号店をオープン! 


──2017年1月末に海外1号店を出店されたそうですが、この先に目指しているものは何でしょうか。 


川口 タイ料理一本でがんばっていこうと思っています。

タイの店舗では利益を出すのもありますが、コックさんを養成したいんですね。

学校を出てすぐの人を育てるところにしたいなと思ってます。

次にアメリカでも展開したいですね。


 ──アメリカの進出も視野に入れているんですね。  


川口 アメリカでは「チポトレ・メキシカン・フーズ」が「ショップハウス」というサブウェイみたいな自分で中身を選んでもらって提供するタイ料理ファストフードを展開しているんですね。

アメリカのチェーン店で成功しているところは、哲学、マネージメント、オペレーションの仕組みが素晴らしいです。

客数をとても重視しています。客数の予測に応じて、料理や人の用意をしています。

料理については如何に美味しく安心安全な食事を提供するか、人件費についていえば単純にコストとみず、お客様に迷惑をかけない人数とトレーニングされた人を準備するんです。  

我が社においても、客数を増やすことがファンを増やすことであり、我が社の理念であるタイ料理の普及をなしとげることでもあるので、客数を重視したマネージメントを今後もすすめていきたいです。 


 ──異文化コミュニケーションで苦労することはありますか。


 川口 言葉の問題はありますが、逆にお互いに言葉が完璧にわからないところにも良い面があります。

全部わかるとケンカになっちゃうけど、多少わからなくて不便なくらいの距離感がちょうどいいです。

タイ人はプライドが高く、給料だけではなく働いている職場環境を重視しています。

給料が高くても嫌ならやめる潔さもタイ人の魅力だと思います。


 ──周りからはなんと呼ばれますか。 


川口 下の名前で「ヨウさん」と呼ばれます。

みんなニックネームで呼び合っていますね。

昨年の忘年会はタイのバンドを呼んですごい盛り上がりましたよ。

正社員は60名、アルバイトさん入れて190名くらいですが、、ちょっとずつでも増えれば嬉しいです。

多様性をうけいれる風土の会社なので、いろいろな国籍、年代、LGBTのスタッフも活躍しています。  


──趣味やストレス解消はありますか。


 川口 じっとしているのが苦手で旅行好きです。

中東のオマーンではじめたことがキッカケでダイビング、釣りなどの海遊びも好きですね。 


アメリカで出店したところを先生に見せたい


 ──尊敬する人はどんな人でしょう。 


川口 妻ですね。仕事を手伝い、子ども2人を文句も言わず、育ててくれて感謝しています。

本当に苦しいときも支えてくれました。

歴史上の人物だと織田信長とその父親が中小企業の2代目と叩き上げ社長みたいで好きですね。

そして、なにより、コンサルをお願いしている井上恵次先生です。

ロイヤルホストの副社長を経てベッカーズの社長をした方で、アメリカに年に2回くらい連れて行ってもらっています。

井上先生にアメリカで出店したところを見せたいですね。


 ──このサービスはこだわりを持ってるなと感じるものはありますか。  


川口 日光江戸村がすごいなと思いました。

雰囲気作りやホスピタリティに驚きます。事務所の中がちらっと見えた時、ちょんまげ姿でパソコンをやっていたんですよ!

出し物の完成度の高さもそうですが、どこを見ても雰囲気が崩れないのがすごいですね。

うちの店でもタイに来たときにテンションがあがる感じを提供したいですね。

店長からスタッフまでほぼ全員タイ人の店舗がほとんどで、「よく言葉も通じないのにホールスタッフで雇ってるね」とお客様からあきれられたこともありますが、それがいいなと思っています。海外で苦労して会話をするような雰囲気も楽しいんじゃないでしょうか?



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