ドレッドひと筋30年!!理髪店MOBO

「ドレッドは生活も変えるし、性格も前向きにする。その変化を見られるのが楽しい」
 笑顔でドレッドの魅力を語る美容師の松本夫妻。 
理容室MOBO


レゲエが大好きすぎてドレッドヘア専門店を始めた 


―なぜドレッドヘア専門の理髪店を始めたのでしょうか。


 松本 レゲエが大好きだったからです。

もともと、父の代から床屋を営んでいました。ドレッド専門になったのは私の代からです。 私がドレッドをやりたかったので、ドレッド専門になりました。


 ―ドレッドの技術は何もないところから始めたのですね。


 松本 妻と一緒に右も左もわからない中で独学でノウハウを作りあげました。当時いた従業員と一緒に夜中の2時頃まで試行錯誤を繰り返しました。

 その頃の従業員はドレッドやカラーで創業して活躍しています。

振り返るとかわいそうなことをしたなと思いますが、よくついてきてくれました。


 ―店名をMOBOと名付けたのはなぜでしょうか。


 松本 父から引き継いだ時の店名は松本理容室でした。私が他の理髪店で修行して帰ってきたとき、父にこう言いました。 「松本理容室はちょっと嫌だよ」 

 すると、 「じゃあ自由に好き勝手にお店やっていいから、名前だけ俺につけさせてくれ」 そう返事をされ、MOBOになりました。


 ―MOBOとはどういう意味なのでしょうか。


 松本 モダンボーイの略です。父は大正時代の生まれで、モダンボーイモダンガールを略したモボモガ(戦前の日本で流行した若者の文化)の影響を受けています。 登録では床屋さんですから、モダンボーイを略したモボという店名になりました。

ミュージシャンと美容師の道で葛藤


 ―ドレッドヘアの原点、レゲエとの出会いはいつなのでしょうか。 


松本 4年半ほど家を出て修業していた頃に、レゲエを聞き出したのが始まりでした。

もともとハードロックが好きでしたが、修行時代はギターもハードロックも封印していました。 前のめりで集中しやすい性格なので、レゲエにどんどん夢中になっていきました。


 ―バンドでギターをやっていたのですね。


 松本 高校の頃にはバンドを始めていました。吉田拓郎のような長髪にしたかったけど、通っていた私立高校の校則がとても厳しく、刈り上げないといけませんでした。 今でも先生に髪を引っ張られる夢を見るほどです。 


 ―高校時代は髪型の自由が全くなかったのですね。 


 松本 高校卒業後は理容学校に通うことになるのですが、思い切り髪を伸ばせる学校を電話して探し周りました。 厳しい校則に縛られた高校の3年間が私の髪型にこだわる原動力となっています。 


―高校の頃から実家の理髪店を継ぐと決めていたから理容学校へ入学したのでしょうか。


 松本 理容学校に行った理由はマーシャルのギターが欲しかったからです。 

「大学の入学金と4年間の授業料を床屋の学校と比べてみろ。その差額でお前の欲しかったマーシャルのギターが買えるぞ。床屋の学校へ行けば、買ってやるよ」  父にそう言われ、本当は大学で学びたかったのですが、床屋になるため理容学校を選びました。父はその頃から私に後を継いでもらいたいと強く思っていたそうです。 


 ―専門学校へ入学後はひたすら修行をしていたのでしょうか。  


松本 バンドをずっと続けていました。周りの友人もバンドをしていたり、事務所に入ったりしていたので、私も誘われました。ギターを弾いてお金をもらえるから事務所に入ろうという話もあったので。


 ―ミュージシャンとして収入を得ていたのですね。


 松本 父には悪かったのですが、バンドをやらせてもらえないかお願いしました。 大学を卒業する22歳までは自由にやらせてくれとお願いすると、理容の国家試験を一発で受かることを条件に許してもらえました。


 ―どのような場所で活動していたのでしょうか。


 松本 演歌とかキャバレーでギターを弾いてお金をもらっていました。

当時は美容師の初任給が7万円でしたが、ギターで21万円はもらっていました。


 ―とても良い収入ですね!  


松本 その代わり、とてもハードな生活でした。夜中はギターを弾いて、始発で帰宅する。仮眠をしてから実家の床屋で働く。夕方の7時頃になるとバンドへ出かけていました。  


―ほとんど休みのない生活だったのですね。


 松本 国家試験に合格して床屋でも働けましたが、同級生と比べて仕事が全然できていませんでした。ギターで良い仕事がもらえそうになりかけた頃、父親が倒れました。


 ―人生の選択を迫られるような転機ですね。


 松本 父が倒れたのと同じタイミングで、レコード収録に参加しないかという誘いがあったんです。プロのミュージシャンの手伝いなので仕事内容も良かったのですが、断って美容師の道を極めることに決めました。

家で働くことが甘いと感じたので、4年半は外で修行を積みました。


 ―そこでレゲエと出会い、ドレッドに夢中になっていくのですね。


 松本 もし音楽の仕事を受けていたら、今どうなっていたかわからないですね。

父が倒れたタイミングが重ならなければ、今頃はスタジオミュージシャン、もしかしたらプロの音楽家だったかもしれない。

 人生は不思議ですよね。 初めての人にこそドレッドを楽しんで欲しい


 ―他のドレッドを扱う理髪店との違いはありますか。


 松本 一人ひとりの毛質に合わせたデータベースの量ですね。日本ではおそらくどこよりもドレッドの施術をしているので、経験の量が違います。


※ご夫婦&息子さんの3人がかりでドレッドお手入れの施術中


―同じドレッドでも作り方に違いがあるのですね。


 松本 ただ編んでるだけのドレッドがとても多いです。日本では8割ぐらいがアフロを三つ編みにしたものをドレッドと呼んでいます。

 しかし、それは正しく表現するとアフロブレイズなんです。

昔ながらのドレッドを作るお店はアフロを絶対にかけています。ですが、アフロにするとナチュラルドレッドはできなくなります。 「ナチュラルドレッドにしたかったけど、アフロになってしまった」と相談にくるお客さんの髪を直すこともあります。

※ナチュラルドレッド


―松本さん自身は失敗をしたことがありますか。 


松本 最初の頃はとにかく失敗して、妻ともよくケンカをしていました。だけど、自分の髪で失敗しただけで、お客さんに対しての失敗はありません。  

「あなたは性格的に手を抜くとか人種で差別をすることがない。だから、どんなお客様が見えても同じように作るし、100パーセントにつくる」 妻からそう言われます。

たくさん経験を積めた理由は一人ひとりを大切にしてきたからだと思います。仕事に対して苦しいと思ったことはありません。 


 ―ドレッドを作る時に注意していることはありますか。


 松本 お仕事を聞いてドレッドにしても絶対に大丈夫か確認するようにしています。過去に1日や施術した日にドレッドが終わってしまったという方が何人かいたので。


 ―ドレッドを受け入れない社会ということですかね。


 松本 ふざけているとか、いい加減な人だという印象を持たれやすいですよね。

黒人社会では秘書のようなまじめな職業でもドレッドにしている方もいます。 髪の毛をまとめるためです。日本ではまだドレッドに薬物のイメージを持っている人が多いです。職務質問も頻繁にあります。


 ―社会的に評価された実績などはありますか。  


松本 うちに通っていた有名私立大学の学生が内定をもらった話は嬉しかったです。その学生さんはドレッドヘアのまま就職活動をして、大手不動産会社から採用されました。

今しかできないことをしたいとアメリカ放浪などもしていました。

外見ではなく、人物の内面をアピールして評価された事例だと思います。


 ―最後にメッセージはありますか。


 松本 初めての方にもドレッドを楽しんでほしいです。うちでは1カ月間、何回来ても無料で直すサービスを行っています。素人のうちはシャンプーをするだけでドレッドが崩れやすいので、長い期間をかけて育ててほしいです。

「お前はバカか!1ヶ月もサービスつけるなんてあり得ない」と妻に言われたこともありますが、毎日来てもいいからドレッドに馴染んでほしいです。


 ■インタビューを終えて

 実は今回のインタビューには松本さんの奥さんも同席してくれました。  

「30年前ドレッドを始めた頃、こだわりの違いでケンカすることもありました」 

勢いよく語る奥さんの姿からMOBOが夫婦二人三脚でドレッドヘアを探求してきたことがよく伝わってきました。 インタビューを通して、ドレッドはファッションではなく生き方や人間性の表現だという情熱を感じました。


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