「笑い声が大きすぎて怒られこともあるくらい笑いがシンボルですね」
みんながハッピーで笑顔になる世界を目指したいと語るカタヤマケンジさん
INSIDE & OUTSIDE カタヤマケンジ
アートを通して笑顔でハッピーになってもらいたい
──今の活動について教えてもらえますか。
カタヤマ ライブペイントを仕事としています。
──ライブペイントを始めたきっかけは何でしょうか。
カタヤマ 自分から始めたというわけではなく、周りから「ライブペイントやってよ」と声をかけてもらったことがきっかけでした。
「Grub」というメンズファッションブランドの展示会があったんですね。最初はそこで絵を展示していました。Grubの展示会はファッションを見せるものですが、「洋服のうしろにアートがあること」を僕は求めていました。
マッチングすれば綺麗に見えたり、美しく見えたりすることがアートだと思っていたんで。
その展示会では毎週金曜日にパーティを開いていたんですね。そのときに「ケンジ、ライブペイントやってよ」と声をかけられたんです。そこから、毎月1回ずつやるようになったのが始まりです。
※ライブペイント
──いつ頃から始めたのでしょうか。
カタヤマ もう5年くらい前になりますね。そこから口コミで広がって、あちこちから声をかけてもらえるようになりました。
──もともとはアパレルをやられていたと思うのですが、アーティストに移行したのはなぜだったのでしょう。
カタヤマ アートとファッションが昔からずっと好きだったんですね。おじいちゃんが画家だったので、その影響もあると思います。
スタイリストの仕事をしていたので、その流れで友達とか周りの人に自分が描いたオリジナルのTシャツとかトレーナーを提供することになったんですね。その時もキャンバスが洋服なだけであって、アートに枠はないと思っていました。
ハンドペイントすることで、一枚一枚が着ている人のオンリーワンになるじゃないですか。それがいいなと思って。
──アートを通して、今の社会に対して伝えたいメッセージはありますか。
カタヤマ 子どもたちに向けてワークショップをすることがあるんですけど、そこでハンドペイントしたオリジナルのTシャツを着ている子がいたんですね。ハンドペイントの洋服を当たり前に着る人がもっと増えたらいいなと思いますね。
※子どもたちとのワークショップ
──苦しい、つらいと思うことはありますか。
カタヤマ つらいことがほとんどないんですね。笑顔に満ちている環境にいるからだと思います。
アーティストって人に何か影響を与えることが大切だと思っています。だから「ケンジくんの絵を見ると元気が出るよね」と言ってもらえて嬉しいです。
例えば、病気の女の子から「元気がほしいからケンジくんの絵をお願いしたい」とたのまれることもあって、アートを通してハッピーになってもらえることはアーティスト冥利に尽きます。
──失敗したなと思う経験はありますか。
カタヤマ ライブペイントは現場の人たちの雰囲気や空気を感じてその場で描くんですけど、大きい絵のときは下書きをいくつか用意したこともあるんですね。だけど、いつもその下書きどおりに描くことはなくて…。その場でみんなから感じるものが手に出てくるんですよ。
──アートでこの先に目指すものはなんでしょう。
カタヤマ みんながハッピーになれる日本や世界の平和を目指してます。昨日もちょうどケンジバーというイベントを開いたんですけど、来てくれた人がみんなハッピーになって帰ってほしいと思ってやってます。
※「みんながハッピーになれる世界をつくりたい」
外国人嫌いを克服するため25歳でシドニーへ
──育った環境について伺えますか。
カタヤマ 自分が1歳のときに両親が離婚して、母方に引き取られました。
それで、祖父母に育てられたんですね。祖父母は他界しましたが、本当によくしてもらいました。母は今も元気ですが、たくさんのことを許されて自由に育ててもらいました。
──いいご家族に恵まれた環境だったのですね。
カタヤマ 尊敬する人もおじいちゃんです。白い長い髪をして、個展を開くときはスーツを着て。すごい厳粛なおじいちゃんでした。毎朝4時に起きて、フランスパンを焼いて、新聞が届いたら読む。
「ケンジくんはしゃべる相手がいないと死んじゃうよ」と言われるくらいしゃべりますけど、おじいちゃんの前ではいつも静かにしてました。
──人生の中で印象に残った出来事はありますか。
カタヤマ 人生の方向を大きく変えたような出会いはありませんが、25歳のときにオーストラリアのシドニーに働きにいきました。
──何かキッカケがあったんですか。
カタヤマ 理由は特になかったんですけど、外国人が嫌いだったんですね。助けてもらってばかりいる人生だったので、すべての関係を断ち切って「行ってくるよー」と母に告げて出国しました。
母には突然で驚かれたし、英語もまったくしゃべれない状態でしたが、シドニーへ向かいました。
──現地での生活はどんなものだったでしょう。
カタヤマ まずは働く先を見つけようと3つの大手旅行会社へ応募しました。そのうちの1社から採用されて、一生懸命働いたんです。そしたら、コーディネーターに昇格されて、日本から派遣された社員たちが「残りたい」という中、自分だけがビザをもらえたんですね。
──仕事ぶりが評価されたのですね。
カタヤマ その当時の生活はものすごい、いい生活をしてました。毎月給料をもらうんですけど、ほとんど貯金したんですね。なぜかというと、食事は接待だから出してもらうし、ゴルフもそこら辺でしょっちゅうできる。冬になったら雪山もあるからスキーができる。
こんなに贅沢な生活をつづけていたらダメになってしまうと思って、マネージャーに「やっぱり日本に帰ります」と伝えました。VISAの発行手続きが終わった後だったんですけど、なんとか許してもらって1年で辞めました。
※16歳から始めたサーフィン
──シドニーでの経験はよいものになりましたか。
カタヤマ 外国人嫌いはまったくなくなりましたね。食わず嫌いみたいなもので、実際に食べたらおいしかったってことよくあるじゃないですか。
現地の人と話して、仲良くなったら平気になりましたね。
──英語もすっかりしゃべれるようになって。
カタヤマ 現地で出会ったニュージーランドの女の子と付き合いそうになったことがあるんですね。だから、コミュニケーションはもう完璧にクリアできました。
山と海からもらうエナジーが俺のスーパードラック!
──日頃から心がけている習慣はありますか。
カタヤマ 健康第一ですね。実はものすごい健康オタクなんです。タバコもやらないし、冷たい水で身体を冷やさないように気をつけています。
サーフィンもスーパーパイプをずっと続けてますけど、とても危ないスポーツだから、一歩間違えれば簡単に死んでしまうので。
※休日はサーフィンとスーパーパイプ
──いつごろから続けていますか。
カタヤマ スノーボードは23歳ぐらいから、サーフィンは16歳から始めました。それからずっと、土曜日はスノーボード、日曜日はサーフィンという生活を続けています。
一緒に行く30代の仲間が帯状疱疹で音を上げるくらい、ハードにやってます。
周りからは「ケンジくんみたいにみんな超人じゃないんだから連れ回しすぎだよ」と怒られることもあります。だけど、この山と海からもらうエナジーがスーパードラックになってますね。
※死と隣り合わせのスーパーパイプ
──最後に、若い人へのメッセージはありますか。
カタヤマ 失敗を恐れている人、結果にビビってる人が本当に多い。まずはやっちゃって、といいますね。失敗して、苦労して、人の痛みが分かるようになってほしい。
自分も未だに苦労しなくちゃいけないと思うけど、100あるうちの99失敗するために挑戦してほしい。それが、若いときにしかできないことだから。仕事はいつでもあるから、失敗しても働けば借金したって返せるから。
あとは仲間をどんどん作ること。今はSNSがすごい便利で、会ってる気になっちゃうんだけどよくないと思う。フェイス・トゥ・フェイス、アナログで会ってほしいなと思うんです。
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