LIFE IS ART!芸術で社会をかえるマルチアーティスト丸橋聡さん

「起伏のある人生そのものが芸術である」プロデュース業を中心にアーティスト・デザイナー・モデルなどさまざまな顔をもつ男。 
後継の世代にカッコイイ背中を見せるアートとビジネスの両軸で活躍する

丸橋聡さん登場!


会社に守られるのをやめて丸橋聡として活動をしたら波にのりはじめた 

──今のお仕事について聞かせてください。 

丸橋 マルチアーティストとして活動しています。プロデュース業を中心に、アーティストやモデルとして活動中です。


 ──マルチアーティストに至るまでの経緯をうかがえますか。  


丸橋 最初に仕事をはじめたのは高校生を卒業したあとでした。受験はしないと親に告げ、先輩の誘いにのってアメリカはカリフォルニアへ行きました。

サーフボードやスノーボードを買い付けて、日本で販売していたんです。屋根裏で後輩にセールスをしていた経験が商売の原点だと思いますね。モデルも並行してやっていたので、収入にもゆとりがありました。


 ──輸入品がまだ広まっていない時代にそれはすごい経験ですね……!何歳ころだったんでしょうか。 


丸橋 当時は23歳だったと思います。だけど、まわりの友達がみんな就職していって、さみしくなっちゃったんですよね。それで居場所をつくろうと思ったんです。

稼いだ資金をもとにナチュラルプログレッションというサーフショップを池袋に出して、注目を集めました。今でこそ増えましたが、3S(サーフィン・スノーボード・スケートボード)をやっているお店がまわりにない時代だったんです。

 そこでショップTシャツをオリジナルデザインでつくったら外部の人にまで評価されて、最終的にスノーボードウェアを制作するまで大きくなりました。

スノーボードのライダーでは、毎回のオリンピックでうちがサポートしている選手がいて「どうして丸橋さんのところはすごくいいライダーが集まるんだろう」とうらやましがられたほどです。その後、法人化して成長をつづけました。  

──会社としてやっていこうとしたキッカケはなにかあったんですか。 


丸橋 武田鉄矢さんが「男は25歳までになにかをはじめるべきだ」とテレビで話しているのを聞いたんです。当時ちょうど24歳だったので会社を設立してみよう、と。

単純なキッカケでしたが、そんなことから会社経営をはじめました。

35歳過ぎに別会社をつくりいろいろと事業を拡大しますが、「自分が何者なのだろう」と違和感をもってしまったんですね。アーティスト・デザイナーとしての顔もあれば、扶養家族として社員を雇う社長の顔もある。とても悩んでいました。  

廃業後に悪い評判を流す人間も出てきて人間不信になり、親友に相談をしていた時期もあります。毎朝その親友に自分にできることをLINEで送っていたんです。

「ブランディングができる。デザインができる」自信をなくしていた時期でしたが「俺にはこれができる」と思っていることをぜんぶ書いていきました。そのとき親友に「俺には営業しかできない。おまえはたくさんできることがあって、すごいよ」という一言をもらい、自信を取り戻しはじめました。

「俺は中途半端な人間だ」と思っていましたが「アメリカではたくさんできることがある人は多才だとうらやましがられる」といわれたこともあります。そして、親友からの「おまえがくよくよしてても仕方ない。俺たちはおまえが復活するを待っているんだよ。チャレンジしろよ」と励ましてもらえたことで立ち直れたんです。 


 ──そこから快進撃がはじまったのですね。  


丸橋 今までは「法人代表の丸橋」としてまわりから認知されていました。

ですが、会社に守られるのではなく、自分個人で勝負しようと決めて、モデルやデザインなどできることをすべてアピールしていったんです。そこから少しずつ流れがよくなってきましたね。

それがここ3年くらいの話です。  


自由な価値観をもつことが認められる社会にしていきたい


 ──丸橋さんの振る舞いからうまく波にのっている雰囲気を感じます。目指している方向が明確にあるんでしょうね。


 丸橋 何もせずに業界の悪口だけいっている大人にはなりたくないですね。今日までを振り返ると、僕の人生の中には背中で語ってくれる「カッコイイ親父たち」がいました。

Washoiの麻男さんもそうですし、50歳をすぎて年齢を重ねてもジーンズでかっこよく決めている人たちから影響を受けてきたんですね。だから自分もそんな誰かの人生にとってキーマンになりたいと、40代からはこうして取材を受けたり情報を発信したりすることで背中を見せていくつもりです。

力がないと新しい世代を引っ張ることはできませんからね……。

──プロデュース業を通して社会に提示したいメッセージはありますか。 


丸橋 「オリジナルの価値観をもつことは自由だよ」ということですね。

日本では価値観を人に押しつける文化が強いと思うんです。たとえば、50歳すぎてオーバーオールを着てたら異質な人だと思われてしまいますよね。

だけど、本来は価値観って人それぞれなはずだし、2割くらいの人は自分の考えを我慢して社会の型にはめているはずです。我慢している人がうちの製品をみて「自分らしく生きてもいいんだ」と感じてもらえたらうれしいですね。


 ──東急プラザ銀座のハンズエキスポで”Art Space Maru84″として出店されているんですよね。個人としての活動で大手企業を納得させるのはすごいなと驚きました。


 丸橋 本当は法人として活動してもよい規模にはなってきています。ですが「俺はフリーでやっていく」とFA宣言をしたからには、できるところまで個人として挑戦していくつもりです。

ハンズの人も「洗練された商品よりも個性があるアーティストの作品の方が売れるということを証明したい」というこちらの意向に賛同してくれました。

やりたいことをやりながらビジネスとして成功させることがプロフェッショナルだと考えてやってきたので、勢いだけで終わらないこちらの姿勢が伝わったのだと思います。


 倒れるなら前のめり!俺の人生は芸術だ 


──これからの展望について聞かせてください。 


丸橋 最終的なゴールはホテルをもつことです。ホテルをリノベーションして国内外に向けてショールームをつくることを目指しています。

高校を卒業してアメリカへ渡り、そこから欧米社会にあこがれてきましたが、今は日本人として世界で戦いたいですね。才能があるのにまわりから目をとめられないアーティストを広めていきます。

ギャラリーという制度はビジネスとしてうまくいっていても、アーティストを育てるところまでは手がまわらない。だから、自分がその役割を担っていくつもりです。  

──最後に丸橋さんにとって人生のこだわりについて聞かせてください。 


丸橋 「倒れるなら前のめり」ですね。”TOKYO INTERNATIONAL ART FAIR”を主催してきて、世界のアートと日本のアートそれぞれの市場で抱えている問題点がみえてきました。

これからは「アートとアパレル」や「アートと家具」などリンクさせることで市場を刺激していくつもりです。長年ビジネスをしてきて失敗もありましたが「俺はパクられ屋」だとクリエイティブスイッチを刺激しつづけています。

芸術のために生きる人生ではなく、人生そのものが芸術であると思っているので”Life is Art”を理念に生きていくつもりです。



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